「山北は鉄道の街である。」今回のツアーに参加するまで、私は全く知りませんでした。現在の御殿場線は、かつて東海道線として営業されていました。山北は、その東海道線の中心地として、多くの人が生活し、とても栄えていました。
今回は、山北町鉄道資料館の柳川館長、荻野さん、清水さんのガイドで、山北町の鉄道の歴史を巡りました。
まず訪れたのは、山北駅の裏にある鉄道公園です。ここにはD52が展示されており、しかも今でも動くように地元の方が修理をしたということで驚きでした。今は石炭ではなく、エアーコンプレッサーで代替しているそうです。間近で見た機関車は車輪がとても大きく、迫力がありました。また、この鉄道公園からは山北駅が見えます。駅のホームは、開業当時の130年前から今でも同じものを使用しているとのことです。
次は御殿場線の最初のトンネルである、箱根第1号・2号トンネルにやってきました。複線だった頃の名残から、トンネルも2つありますが現在は単線なので1つしか使っていません。線路は戦争の武器の原料として使われたので、線路もありません。ただトンネルだけが残されている光景は何とも不思議でした。近くにある線守稲荷も上から確認できましたが、立ち入りが禁止されていて、遠目でしか見れなかったのが残念でした。
続いて鉄道唱歌にも歌われている第一橋梁に来ました。酒匂川と山との風景が何とも美しく、ちょうど御殿場線の電車が走るところも見れました。第二橋梁には、線路の横に柵のようなものが無く、一本橋のようです。戦争によって、ミャンマーに持って行かれてしまいました。
谷峨駅のスイッチバック跡を見たあとは、最後の箱根第5号トンネルです。海外への玉音放送はこの場所から放送されました。現在は立ち入りができない場所となっており、中までは見られませんでした。東京ではなく山北から放送されていたとは思いもしませんでした。
今回は、山北町の鉄道の歴史を巡りました。ローカル路線で知られる御殿場線が、かつては山北を中心とする鉄道大動脈であったことも全く知りませんでした。繁栄していた過去と、戦争の爪跡、そして現在にも残る文明の数々。当時のまま残されたトンネルや線路からは、歴史の重みを感じました。
(青木愛美)